あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
来シーズン(2009年9月)より住みなれたアイゼナハを離れ、 ドイツ南部バイエルン州レーゲンスブルク歌劇場の音楽総監督として、就任することになりました。
アイゼナハでは、楽しいことばかりではなく、歌劇場の合併、統合、オケの約半分の縮小という身を切られるような思いも経験しました。
が、単なる仕事仲間を超えた家族同様ともいえる45人(24人)の音楽家との交流は、僕にとって掛替えのない財産になりました。
今回の決断もかなり迷いましたが、前に進まなくてはと自分に言い聞かせています。
レーゲンスブルクは、ローマ帝国時代からの歴史と文化のあるドナウ河沿いの街です。
2004年の「魔笛」、今年の「魔弾の射手」と共演させてもらい、その将来がとても楽しみな劇場、オーケストラだという印象を持っています。
劇場の運営は、表に出る歌手や役者だけでなく、オーケストラ、大道具や小道具、衣装や照明、音響などの裏方さんたち、
ひとつひとつの個々の歯車が上手く噛み合わないと良い方向には回転していきません。
ドイツではともすると、指揮者、リーダーたちはすべてを仕切らなければいけないというような考え、風潮があるように感じることがあります。
上からの命令、トップダウンによる指揮系統には、自ずから限界があるように個人的には思っています。
皆が良い音楽づくりができる環境を整えること、これがGMD(音楽総監督)の最大の仕事です。
一人一人の自主性を尊重し、それを教育、発展させること、組織の中にあって今自分が何をすべきなのか、ということを常に考え、
命令が無くても課題を見つけて対処することなど、当たり前のことをこなしながら、
新しい層の聴衆を開拓し、劇場をより活性化させることができればと考えています。
新天地レーゲンスブルクでも、アイゼナハでのような人間関係、信頼関係が生まれればいいなと、またそうなるように努力したいと思います。
年間の休暇の日数が規定で定められており、今まで以上に日本での演奏会も難しくなります。
修行の旅はまだまだ続きますが、今後ともよろしくお願いします。
阪哲朗
SL特集 Part5Neuenmarkt(ノイエンマルクト)蒸気機関車フェスティバル |
さる9月20日、ドイツ南部の蒸気機関車のメッカともいわれるNeuenmarkt(ノイエンマルクト)に ほぼヨーロッパ中の動態保存機12両が9本の列車を牽いて次々に集結、
午後からは近くの峠を写真と体験乗車の為に往復運転をし、大いに盛り上がりました。
まずは、この鈴なりの人を見てください!陸橋の上まで。 後で行ってみると、消防が人数制限をして、おまけに有料でお金を取っているあたりが笑えましたが、 どこの収入になるのでしょうか?
ここで蒸気機関車の祭典があるらしいというだけで、あまり情報もなく、
実はアイゼナハから3、4時間かけて来たもののどうしようかと思案。
トイレに入ると、なんと、このために日本から来られたという映画評論家の畑暉男さんとばったり。
というのも前もってさる人から
「映画評論家の畑暉男さんも行くそうです。
万が一、スポーツ刈りのごま塩頭の小柄なじいさんを見つけたら、声を掛けてみてください。
畑さんはHOFの01が現役のころそこいらで撮りまくっていますから、
運よく出会えればいろいろと教えてくれるはずです。」
とは聞いていたのですが、まさかトイレでお会いすることになろうとは!(笑)
通訳をしがてら、そして知らない土地をご案内?しがてら、こちらも色々貴重なお話を聞かせていただきました。
鉄っちゃん用の撮影の為にだけ用意された臨時バスに乗り、80km地点と言われる撮影ポイントまで。
バスを降りて2kmの山道、ドイツ人は歩くぺースが早く付いて行くのが一苦労でした。
しかしここは昔から有名なポイントらしく、畑さんは大喜び。
その昔60年代、また東独のころに線路づたいに歩きまわって写真を撮られていたとか。
本当はもう少しひきつけてから撮りたかったのですが、 どこにでもいるのですよね、キャンピングカーで前の日から泊まったりして場所を取ってる人が! |
機関車2両の重連なので、もう少し近づいてから。 これ以上身を乗り出しているとあちこちから、罵声が飛びそうなので、退却です。 |
これが1本目の臨時列車で、まだまだこの後にも30分間隔くらいで続々来る予定だったのですが、 帰りの時間もあるのでこれのみで退却。 そう、この日は例のマクベスのプレミエの日だったのです…。